なんでもノート

文を書く練習・要約のためにと思って開設したブログです。

コラム 「国旗・国歌と行事」 汐見、伊東ほか『教育原理』ミネルヴァ書房2016

汐見、伊東ほか『教育原理』ミネルヴァ書房2016

 

コラム 「国旗・国歌と行事」(pp.160-161)

 

  1. 国旗・国歌と日の丸・「君が代

 

 日本の日章旗と「君が代」は1999年の「国旗及び国歌に関する法律」で定められた。これ以前にこのような法律はなかったが、学習指導要領では1958(S33)年版から日の丸を国旗、1977(S52)年からは「君が代」を国歌として扱っている。

 「もともと、日の丸は開国直後の1854(嘉永7)年に、徳川幕府によって日本船舶の国籍標示旗と定められ、それが明治幕府に受け継がれ(1870(明治3)年商船規則「御国旗」)、その後国旗と称されるようになった。」(p.160)

 「『君が代』は古今和歌集の句を元にしながら、明治初期に曲がつけられたもの。」(p.160)その後1981(M24)年より、「教育ニ関スル勅語」の謄本と御真影が下賜され、行事ごとに万歳などをした。

 

  1. 入学式・卒業式での扱い

 

 1989年の学習指導要領からは、国旗、「君が代」の義務的様相が強くなる。1990年代半ば頃まで、入学式や卒業式は和やかで楽しいものとされていたが、1989年版以降、国旗掲揚と『君が代』斉唱を行い、厳かな雰囲気で式を行うこととされた。これに対して、教職員組合や市民団体などは、軍国主義的であったり、良心・思想の自由が侵されるといった理由で反対運動などをした。しかし、各地教育委員会では、掲揚・斉唱に従わない教員に対して職務命令を出すようになり、多くの教職員が職務命令違反で懲戒処分を受けることとなった。

コラム 部活動は変わるのか 汐見、伊東ほか『教育原理』ミネルヴァ書房2016

汐見、伊東ほか『教育原理』ミネルヴァ書房2016

 

「部活動は変わるのか」(pp.158-159)

 

  1. 部活動への期待

 

 部活動は学校文化に質量両側面において重要な役割を果たしている。「運動部活動のあり方に関する調査研究報告」(文部科学省, 1997)によると、中学校の運動部員の学期中の週当たりの活動日数は、72.4%が週6〜7日活動しており、平日の活動時間は役2〜3時間未満(54.8%)が最も多くなっている。これは累計年間420時間ほどになる。また、西島央(2006)の調査によると、部活動に打ち込んだ生徒の方が精神面での効用を得ていることがわかっている。「このように部活動は生活指導の有効な一チャンネルとして機能」(p.158)している。

 

  1. 部活動の歴史的移り変わり

 

 部活動の基本的な枠組みがつくられたのは1968・1969(昭和43・44)年の学習指導要領である。教育課程内に必修のクラブ活動が設置され、選択制の部活動が教育課程外に位置付けられた。これ以降、法律的な裏付けがないまま、学校側が計画し、顧問を配置し、その指導の責任を持つという暗黙の体制がとられ、盛んになった(参照, p.158)。1989年からクラブ活動が部活動へ代替可能となり、1998・1999年以降、部活動やスポーツクラブなどが盛んになったことを受け、中高におけるクラブ活動は廃止された。

 

  1. 新学習指導要領で部活動は変わるのか

 

 部活動が盛んになり広がりを見せる一方、教師の労働環境や部活内における組織体制、指導者の確保といったさまざま問題が噴出していた。1990年代半ば以降、部活動を学校側が担うか、地域が担うかといった議論が活発化したが明確な方向性は打ち出されなかった。208・2009年学習指導要領では、初めてクラブ活動の教育的効果を評価し、「部活動と教育課程との関連付けを求めてきた」(p.159)。

 今後どのような変化が予想されるのか⇨「部活動に関する教師の仕事上の位置付けが、ボランタリーから職務へと明確化されていく」、「部活動への公金の支出の充実という予算上の措置が期待できる」。(p.159)(2020年現時点でやっと議論がお茶の間にまで広がってきている感じ。特に給特法といった言葉が広く認知されてきている。)

 「しかし、部活動の教育課程化の方向のみでは、教職員の多忙化や指導者の専門性の問題は解消されない。部活動に科学的メスを入れることが重要である。」つまり、これまでなされてこなかった部活動の科学的な教育効果の測定が必要である。「そして、発達心理学コーチング、ウェルネス論などの科学と論理の視点を入れた指導のできる教員や指導者を養成することが重要となってくる。」これにより、長時間練習すれば良いといった迷信が否定され、「顧問や生徒の負担の改善が期待できる」。「科学的トレーニングの導入により、悪しき根性主義からも脱却できるはず」。(p.159)

「教える」という仕事と学校文化Ⅰ

汐見、伊東ほか 『教育原理』 ミネルヴァ書房2016

 

pp.150-151 「教えの過剰、学びの過少」

 

 「教えと学びの弁証法」(p.151)。教師が教えすぎると、生徒の思考を奪ってしまいかねない。そのため、教師には「学びの誘発者」(同上)としての役割が求められる。その際にポイントとなるのが、「異文化体験」(同上)であろう。生徒たちがそれまで持っていた価値観を覆す、もしくはその価値観に反することを生徒に提示してあげれば、生徒も関心を引き立てられやすくなる。

 

 

pp.152-153 「担任の仕事」

 

 授業の基本は、1、基礎的な学力を身につけさせること。2、知識を獲得すること。3、他者を理解し、より深い学びへ。4、既存の価値観を相対化する視点を養うこと。である。中学・高校は教科担当性であるため、小学校よりもより専門性の高い授業が展開されることが求められる。しかし、受験を意識せざるを得なく、教師の専門性が活かされない授業になってしまいがちである。

 また、教員には授業以外にも多量の仕事がある。まず「学級づくり」である。朝の会や帰りの会といったホームルームは、特に中高では大きな役割を果たす。次に、生徒/生活指導。生徒の体調の変化を敏感に感じ取り、適切に対応することが求められる。これは教師が生徒の信頼感を獲得することにもつながる。出席簿や指導要録[i]・成績処理、通信簿、教育委員会からの調査資料の提出などさまざまな、資料整理や提出資料、作品提出が求められている。

 

 

pp.154-155 「授業と教材研究」

 

 教材研究は、より豊かな授業[ii]を形作るために重要であると同時に、「教師のマンネリを防ぐ一番の保障」(p.155)にもなっている。

 また、教員には研究を受ける義務・権利が教育公務員特例法により守られている。学内研修(校内研修)は、1、「学校でテーマを決めて行うものである」(p.155)。テーマは、学校目標や子どもの実態から考え、2、学年、もしくはグループ毎に研究テーマを設定する。3、具体的筋立てを決め、4、実際に研究授業を行う。5、最後に報告会が行われる。評価方法としては、PDCAサイクルモデルやKJ法が用いられることが多く、最近ではパフォーマンス評価も登場してきている。

 

pp.156-157 「特別活動」

 

 特別活動は「『私とは何か?』」(p.156)を見つける場所である。

 日本の特別活動はその学ぶ領域の多様性が特徴となっている。1951年(S26)の学習指導要領の改訂以来、特別活動には教科書もなければ学ぶ内容も決められておらず、「年間35単位時間以上」が決められているだけである。

 小学校では主に、学級活動や児童会活動、クラブ活動、学校行事がそれに当たる。中学・高校では、ホームルーム活動、生徒会活動、学校行事の3つとなっている。その他に、学生生活を充実させるためであったり、スクールアイデンティティの形成を目指し、独自の活動が行われることもある。

 1990年代以降、「空気」を読むことが過剰に求められるようになった一方、他人への無関心が問題とされている。特別活動では、体験を通して「人との触れ合い、感情交流」(p.157)を学びます。そして、「新しい自分や他者を発見」(:)し、「個人の不十分さを学び取るのである。

 特別活動は、体験することよりも、体験のプロセスから学ぶことが重要である。教師は生徒が体験からどのように学び取るのかを、補助する必要がある。

 

[i]指導要録とは、生徒の学籍や授業の計画、実施後の評価や点検等を記したもの。学校長に作成義務がある。これらは、授業の改善に使用されるほか、開示請求のために作成される。

 

[ii]「教えの過剰、学びの過少」で取り上げたような授業のこと